バナー
  • 古写真でたどる、羽黒山から月山への道~月山頂上
    古い写真を手に取ると、数十年前の景色が別世界のように感じられますが月山山頂はじつに清々しく、いつ登っても別世界を感じます。さて、古写真で辿る月山山頂にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。
  • 古写真でたどる、羽黒山から月山への道~九合目
    月山九合目、仏生池小屋。写真は戦前の頃のもの。もちろんぬま小屋ではありませんが、小屋は今も経営されているます。”仏水池”の由来を尋ねてみると、江戸時代の文書の佛水池のくだりには”釈尊の生まれる日に八大竜王が下界の悪習をはらおうと聖なる水を湛えて清めた池=仏生池”と、大意このように書かれています。また、九合目を営む工藤さんによれば、”仏生池は文字通り「仏の生まれる池」で、道者はここで死に水をのみ、魂となって頂上へ行き、月山神社にお参りして生命をもらい、それから(月山山頂にある)..
  • 古写真でたどる、羽黒山から月山への道~八合目
    月山八合目、弥陀ヶ原小屋(みだがはらごや)。今は車で八合目までいく弥陀ヶ原ですが、かつて一合目から登っていった先に突如として広大な湿地が広がり高山植物の咲き乱れる様はさぞ感動的だったでしょう。夏には百数十種の花々で埋め尽くされる弥陀ヶ原は、明治以前に祀られていた月読命(つきよみのみこと)とその本地、阿弥陀如来(あみだにょらい)が祀られていました。それゆえ「弥陀ヶ原」といわれるとも、神様が御田植えをされたことから「御田ヶ原」ともいわれました。二つの呼称は明治の神仏分離以後も慣例..
  • 古写真でたどる、羽黒山から月山への道~七合目
    七合目は合清水(ごうしみず)。江戸時代の文書には「業清水」とも書かれているこの小屋。名前の由来は二説あり、「人間の業を清水で洗い落とす」とする説と「登り下りの合い清水」といって、玄海口から月山を越え羽黒山に向かう行程と手向口から月山に向かう行程が、ちょうど落ち合う場所にあるためという説なのだそう。五、六合目と同じく井戸の神様が祀られた栄井神社があり合清水小屋は最上川水系と赤川水系の「分水嶺」に建っていました。栄井神社の近くには湧き水があり、「ハンド鉢」と呼ばれる自然石に流れて..
  • 古写真でたどる、羽黒山から月山への道~六合目
    月山は標高1,984m。ちょうど中腹の標高1,000mに月山六合目平清水小屋がありました。五合目強清水、六合目平清水、七合目合清水(ごうしみず)。「清水」のつくこれらの小屋名は、きれいな湧き水があることに由来しています。平清水は、月山一美味しい湧き水に恵まれていたそうです。小屋の西側にその湧き水はありました。きれいで美味しいことで知られ、昭和30年代の山開きの頃、保健所の人が飲料水を調べにきた際、平清水の湧き水は軟水で一番水質がよかったそうです。この水を手桶に入れて小屋の入り..

出羽三山の麓 ・ 羽黒地域は、1400年の歴史をもつ山岳信仰の聖地を中心として
食の宝庫 ・ 庄内平野、 美しい農村景観、 多様なトレッキングフィールド等を有し
今なお「人と自然」 ・ 「信仰と暮らし」が調和するまちです。

私たち羽黒町観光協会は、 それらの魅力を発信する事業を行うとともに
遠近の旅人をお迎えし、 連綿とつづく歴史文化と豊かな自然を明日につなげる
観光をつくりだしています。

山形県鶴岡市羽黒町

 

 

 

 

 

 

 

>>詳細マップを見る(Google マップ)

 

羽黒町の歴史概略

羽黒町は庄内平野の東南に位置し、北部は平野地帯で広く、南部は山岳地帯でせまく、長三角形のかたちをしています。霊峰出羽三山の山麓の町として、信仰と農耕を中心に発展してきました。その歴史は古く、高寺・松ヶ岡・玉川の遺跡からは石器時代の遺物が出土し、人々がすでに生活していたことをうかがい知ることができます。また縄文時代の遺跡は数十ヶ所から出土していますが、とりわけ玉川集落から出土した石器・土器・玉類は玉川遺跡として文化財に指定され調査されています。

さて、羽黒町が文献上に登場するのは『羽黒山在庁年代記』の中で、推古天皇元年(593)に、能除太子が羽黒山を開いたと著されているのが最初です。

古代の羽黒町については、遺跡も文献も不詳な点が多く不明です。

中世になって、羽黒修験道はおおいに栄え、熊野や九州の彦山、加賀の白山など諸国の修験者との交流が行われ、東北随一の信仰の山として隆盛を極めました。しかし、戦国の世となり、羽黒山も争乱に巻き込まれ、大きな打撃を受けて衰微しかけましたが、羽黒山中興の祖といわれる天宥別当により立て直され整備されました。明治を向かえ、神仏分離により出羽三山は神の山となりました。明治5年には戊辰戦争に敗れた庄内藩氏3,000人が後田山に入植、開墾しました。

明治22年の町村制によって、手向・泉・広瀬が各村になりました。

昭和30年、三ヶ村が合併され羽黒町として誕生しました。

2005年、隣接する藤島町、櫛引町、朝日村、温海町、鶴岡市と合併し、鶴岡市となり現在にいたっています。