出羽三山の麓 ・ 羽黒地域は、1400年の歴史をもつ山岳信仰の聖地を中心として
食の宝庫 ・ 庄内平野、 美しい農村景観、 多様なトレッキングフィールド等を有し
今なお「人と自然」 ・ 「信仰と暮らし」が調和するまちです。
私たち羽黒町観光協会は、 それらの魅力を発信する事業を行うとともに
遠近の旅人をお迎えし、 連綿とつづく歴史文化と豊かな自然を明日につなげる
観光をつくりだしています。
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羽黒町の歴史概略
羽黒町は庄内平野の東南に位置し、北部は平野地帯で広く、南部は山岳地帯でせまく、長三角形のかたちをしています。霊峰出羽三山の山麓の町として、信仰と農耕を中心に発展してきました。その歴史は古く、高寺・松ヶ岡・玉川の遺跡からは石器時代の遺物が出土し、人々がすでに生活していたことをうかがい知ることができます。また縄文時代の遺跡は数十ヶ所から出土していますが、とりわけ玉川集落から出土した石器・土器・玉類は玉川遺跡として文化財に指定され調査されています。
さて、羽黒町が文献上に登場するのは『羽黒山在庁年代記』の中で、推古天皇元年(593)に、能除太子が羽黒山を開いたと著されているのが最初です。
古代の羽黒町については、遺跡も文献も不詳な点が多く不明です。
中世になって、羽黒修験道はおおいに栄え、熊野や九州の彦山、加賀の白山など諸国の修験者との交流が行われ、東北随一の信仰の山として隆盛を極めました。しかし、戦国の世となり、羽黒山も争乱に巻き込まれ、大きな打撃を受けて衰微しかけましたが、羽黒山中興の祖といわれる天宥別当により立て直され整備されました。明治を向かえ、神仏分離により出羽三山は神の山となりました。明治5年には戊辰戦争に敗れた庄内藩氏3,000人が後田山に入植、開墾しました。
明治22年の町村制によって、手向・泉・広瀬が各村になりました。
昭和30年、三ヶ村が合併され羽黒町として誕生しました。
2005年、隣接する藤島町、櫛引町、朝日村、温海町、鶴岡市と合併し、鶴岡市となり現在にいたっています。
